« 今夜も募金活動 | トップページ | がんばれ!カターレ富山 »

2008年9月28日 (日)

中山前大臣辞任にみるスポーツの大切さ

 また、大臣が一人辞任した。

 スポーツで言えば、自民党というチームメイトの意見すら無視し、「自分のミス」でゲームに負けたあと、インタビューで「○○のせいで負けた。俺は悪くない、仕返ししてやる」と言ってるようなものだ。

 当選6回で文部科学大臣も歴任している。ということは教育・スポーツ分野担当大臣だったということだ。そのときなぜ「持論」を展開し、正式なルールに則って、真っ向から勝負しなかったのだろう。

 最近、首相や大臣に限らず、社長さんを含め、「マネジャー、リーダーの辞任」ニュースが多く、大人側から見れば、幕引きのないお笑い劇場空間化しつつあると感じる。当人の会見コメントが、皮肉にもより劇場を明るく照らしている。

 未来を託されている子供達はその様子をどう見ているのだろうと心配になるときがある。「身近に憧れの大人がいない」「大人になるとみっともない思いをする」「リーダーになると損をする」など将来に「夢」を感じるには程遠いマインドが染み付かないかと不安すら感じる。

 最近のマネジャーやリーダー、最高責任者という方々はきちんとスポーツを体得してきたのだろうかと感じる時がある。

 スポーツはヨーロッパから日本へ明治時代に輸入された文化である。古くからヨーロッパでは、貴族階級がリーダーシップを持って領土を統治し、市民生活を安定させるために必要な「判断・決断力」というマネジメントスキルを養成するためにスポーツが行われていた。

 そしてスポーツ=「遊び」というトレーニングの中でそのスキルは高まっていったのである。遊びをうまくマネジメントし、楽しむためには、

 ①相手という仲間がいる。②ルールを設定しなくてはいけない。③ジャッジをする人が必要。

 そしてそれらを「Respect(尊重)」した上で、運動+ゲームという遊びに興じるのである。そしてゲームに負けたら、相手を讃え、素直に負けを認め、うつむかず、次に備えることが出来る、それがスポーツマンシップである。(「スポーツマンシップを考える」広瀬一郎より)

 日本でも輸入時は貴族階級の遊びとして行われていたが、富国強兵時代を向かえ、このシステムを学校諸活動に取り込んでしまった。そして、戦争へ向けた一部兵隊養成(後に体育)へと流れていったのである。そういう意味では日本のスポーツはまだまだ戦後文化と言えるのかもしれない。

 加えて課外(学校や仕事帰り)を見ても、外で遊ぶことも少ない現在、今一度スポーツのあり方をビジョン化し、すぐにでも行動に移さないと、適切な判断力を伴ったマネジャーはセンター試験に向けた教育だけでは養成しにくいと感じる。

 冒頭の主役達は、本当の意味でのスポーツを体験できなかったのでは・・・とつい推察してしまう。「試合に勝った・負けた」それに付随する「思い出」を感じただけだったのかもしれない。そういう意味では責任能力がないとも思え、可哀相にすら感じる。

  実はサッカーのゲームにおいて、運動能力に差があまりない場合、選手・監督に一番大切なスキルは瞬間の判断力でしかないのである。それを楽しむ習慣があれば、165cmの選手が180cmの選手にヘディングで勝てる、また足が遅くても、タイミングの使い方で裏を取ることができ、速く見えるのである。

 自戒を含め、世の中の「辞任劇場」に終わりを迎えるためにも、判断力というバランス感覚豊かなマネジャー、リーダーをたくさん生み出さなくてはいけない。

 そのためにも夢をつかみやすく、活動の一歩を踏み出しやすい、スポーツでうまく育てることが今の日本の急務であり、実現可能な「スポーツクラブ」を創りあげる総合的なマネジメントが必要である。

 

|

« 今夜も募金活動 | トップページ | がんばれ!カターレ富山 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 今夜も募金活動 | トップページ | がんばれ!カターレ富山 »